2008/7/18

リゾートとして有名なサイパン島の北部に、旧日本軍の司令部跡地「ラストコマンドポスト」がある。
その近くの公園には破壊された日本軍の大砲や朽ち果てた小型戦車が展示してあり、太平洋戦争末期にこの島をめぐり苛烈な戦闘があったことを物語っている。
中でも、写真6~9の大砲の砲身に遺された貫通痕はどのような武器・弾薬または、破壊工作でできたのか職業柄強く興味を引かれた。


 

 


大砲の砲身に穿たれた穴
   


当時の米軍の主力戦闘機は、グラマンのヘルキャットF6FとチャンスヴォートのコルセアF4U いずれも50口径 12.7mm機銃で鉄芯入りの弾丸を使っていたが、肉厚100mm級の砲身を貫通するほどのエネルギーがあるとも思えないし、急降下する機体からの射撃でこのような正確な着弾はありえないと思われる。
また、穴の周りの盛り上がりの形状がAPFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot) 「離脱装弾筒(サボ)付翼安定徹甲弾」で厚い鋼板を撃ちぬいたときにできるものとよく似ているが、この時代には存在しないはずなので、やはり上陸した米軍が機械的な方法で小さな穴を開け、爆薬で大きくしたと考えられる。



サイパンの歴史
リゾートとして有名なサイパンだが、かつては硫黄島、沖縄本島などと並ぶ日本軍守備隊と米軍上陸部隊が死闘を繰り広げた戦場のひとつだ。 戦争末期に他の島と同様にサイパンの日本軍は劣勢を挽回すべく万歳突撃を繰り返し3万もの将兵が戦死・自決し、さらに多くの民間人も犠牲となったほか、島の北部にある『バンザイクリフ』と呼ばれる断崖から、民間人や日本兵が追い詰められ海に身を投じその数は、1万人ともいわれている。
この島の歴史の始まりは、紀元前2000年頃、チャモロ民族がインドネシアやフィリピンからカヌーに乗ってマリアナ諸島に住みついたと言われている。 そして、1521年にマゼランが世界一周の航海中にマリアナ諸島を発見し、1565年にスペインが(マゼランはスペインの資金で航海していた)、マリアナ諸島領有を宣言し300年以上にわたり植民地支配が続いた。その後1898年にアメリカ-スペイン戦争でスペインが敗れ、グアムはアメリカに譲渡、グアムを除くマリアナ諸島はドイツに売却され15年間ドイツに統治された。 1914年に勃発した第一次世界大戦で、日本は赤道以北のドイツ領を占領した第一次世界大戦終結後のサイパンは日本の委任統治となり、約30年にわたり日本が統治し、約3万人近くの日本人(8割は沖縄から)が移住した。
その後日本は1941年に太平洋戦争を始めた日本軍は隣のグアム島も占領し、サイパンに司令部を設置した。開戦当初は快進撃を続けたが、1944年、アメリカ軍はサイパン島に上陸を開始、日本軍と激戦となった。アメリカ軍の死者は約1万人、日本軍の死者は約3万人、生き残ったのは1000人余りという悲惨な戦いとなった。  さらに米軍は、グアム島、ロタ島、テニアン島と次々に日本軍守備隊を制圧した。 日本本土への爆撃拠点を手に入れたアメリカ軍は、グアム島、サイパン島、テニアン島に滑走路を造り、日本本土を次々に爆撃し、最後には広島と長崎に原子爆弾を投下した。ちなみに、原子爆弾はテニアン島から出撃したB29爆撃機による。
1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾。無条件降伏し戦争は終結。 これによりミクロネシアの日本領は、アメリカの信託統治となり、1950年にグアムはアメリカ自治属領(準州)となり、1986年にグアム島を除くサイパン(Saipan)島、ティニアン(Tinian)島、ロタ(Rota)島など、マリアナ諸島南端の14の北マリアナ諸島が北マリアナ連邦(Commonwealth of the Northern Mariana Islands)として、アメリカ自治領となり現在に至っている。

 



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