2008/11/14

ケネディ大統領暗殺事件
から45年前 1963年11月22日(金曜日)現地時間12:30 アメリカ テキサス州ダラスで、第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン.F.ケネディ(民主党) が、暗殺された。
暗殺直後、ソ連が「我々が手を下したのではない」と異例の表明を行った。
日本でも、折しも当日実施されていた通信衛星による初の日米間のテレビ伝送実験において即座に事件の詳細が伝えられ、視聴者に大きな衝撃を与えた。
当時NHKアナウンサーで、本事件の第一報を伝えたのが石田武氏で、俳優 石田純一の実父。
JFKの略歴と暗殺について


暗殺の実写映像(Zapruder Film )はこちらでごらんください。
(このフィルムは本来オリジナルとされていましたが一部に不自然な加工が施されているのが見られます)
Google mapのストリートビューをご覧頂き、下記写真でご確認ください。


 




先日米国南部へ出張する機会がありましたので、足を伸ばして以前から一度は訪れたいと切望していたJFK暗殺現場に、行ってきました。
このあたりは事件当時から、きれいな芝生や植栽が植えられ公園のようになっており、明るく美しい開けた景色で、あの忌まわしい事件が起きた場所とはとても思えません。
現場の第一印象は、「こんなに狭い場所だったのか」であり、さらに詳細に現場を観察していくうちに、「正にプロが選んだ絶好の襲撃ポイント」であると感じました。
地図をご覧になっていただけるとお分かりですが、 Main st を中央にして、左が Commerce st 右が Elm st で、この3本の通りが、Houston st を境に東へ行くにつれ接近し、鉄道の跨線橋の下で一本の大きな道路にまとまる、ハート型様となっています。 さらに、Houston st を境に東側は、鉄道の橋までの約300メートルが、橋をくぐるために約6メートル程度低くなっており、予想以上の傾斜路となっております。 また、Elm stは、現場では左右にカーブしておりますが、第一、第二の被弾場所の付近は、下り坂の直線となっており真後方から照準すると、短時間ですが標的は固定しているように見えますので、狙撃者にとってまたとないチャンスが得られます。
また、撃ち下ろしになりますので弾道のドロップを気にする必要もなく、正にプロが選んだ絶好のポイントというのはこの点です。また第一、第二の被弾場所をつないだ線は、見事に教科書ビルの右端と隣のビルの右端へと伸びます。 犯行に使ったとされるイタリア製カルカノライフルが教科書ビルで発見されたということで、狙撃場所は教科書ビルの6階となっていますが、隣のビルから撃ってもほぼ同じ弾道となります。こちらの建物は全く検証された形跡がなく、はじめに教科書ビルありきで捜査がスタートしており、捜査のあり方に疑問と不自然さを感じます。

事件から一週間後の1963年11月29日、リンドン・B・ジョンソン大統領によって召集されたウォーレン委員会最高裁長官アール・ウォーレン委員長)が公式調査にあたりました。 10か月の調査後、1964年9月末ウォーレン委員会は報告書を提出し、この事件は、リー・ハーヴェイ・オズワルドによる単独犯行と結論付け、いかなる個人、団体、国家の共謀を示す証拠は発見できなかったと発表した。・・・オズワルドの単独犯行説は、ローン・ガンマン・セオリー(単独犯説)と呼ばれる。
犯人とされた、リーハーベイオズワルド は大統領暗殺事件で超厳戒態勢にあったはずのダラス警察署地下通路でマスコミカメラの前でジャック・ルビーに射殺され、死人に口無し状態となり、また発表されたウォーレン委員会の報告書には、矛盾や不合理な事項が多く、さらに時の政府によって証拠物件の公開が、2029年(下院暗殺調査委員会)もしくは2039年まで制限された。など政府の不自然な対応が多くそのため、謀略説が広がりました。


<委員会の公式報告における重要なポイント>
一発は車列から外れたと考えられる。・・・(後に道路沿いの芝生から弾頭が発見されたとされる? が、証拠品とされる弾頭の写真を見るとほとんど無傷で、芝生や地面に当たった形跡がない不思議な弾丸である。 三発の内の何射目かは特定できない。)
● ケネディ大統領の上背部に命中した弾丸は、首の正面近くに貫通し、コナリー知事をも負傷させた。 ・・・・現実にはありえないので、Single Bullet theory または、"Magic Bullet," と揶揄をこめて呼ばれる。
● 最後の弾丸は大統領の頭部に命中し致命傷となった。 ・・・報告書では後方から被弾としているが、遺体写真では顔面の損傷が認められず、またザプルーダーフィルムでは、脳漿が後方に飛び散り、ジャクリーヌ夫人がこれを拾う姿が記録されており、明らかに前方から撃たれたことを示しています。

ウォーレン委員会の報告による致命傷を与えた銃弾の方向(魔法の銃弾)

ォーレン委員会の報告には、さらに多くの疑問点や不可解な記述がありますので、以下に問題点の指摘と個人的な見解をまとめてみました。
  
1. 弾道から推定して少なくとも5発以上が発射されたと思われます。 
ウォーレン報告書のとおり、外れた弾丸。
大統領の頭部に命中した弾丸
大統領の背中(中心からわずかに右の右肩甲骨の左端付近)から入った弾丸 一説によると盲管銃創(貫通せず体内に弾丸が残る)といわれている。不思議なことに射出口とされる咽喉仏下の部分を解剖時に切開したため否定も肯定もできない。
大統領の背中から首を貫通した弾丸は空中で方向転換し、a コナリー知事の右背中に入り脇腹付近から飛び出し、再び空中で方向転換し、b 今度は右腕に入り骨を砕き手首周辺から飛び出し、再々空中で方向転換をした後、c 知事の左足太ももに突き刺さり停止したというのだが、正に"Magic Bullet," 。空中で弾丸が方向転換をすることはありえないので、実際はこの被害は3~4発の銃撃が加えられたことを示しています。 また、ウォーレン委員会報告書に記載されていたか確認していませんが、ウィンドシールド (フロントガラス)とさらにガラス枠に各一つずつ被弾痕が報告されています。 これらの状況から、a 大統領の体内に残留 b コナリー知事の脇腹を貫通しフロントガラスへ c 右腕を貫通しフロントのガラスの枠へ d 知事の右手首を貫通し左足の太ももへといった仮説が違和感なく組み立てられます。

2. 狙撃は最低二箇所以上、三箇所の可能性もあります。
被弾場所、第一と第二の距離は目測で約50メートル、実際の速度はシークレットサービスが大統領車に後ろから飛び乗ったことから、時速10~13マイル程度といわれています。 時速10マイルは、時速16km/時で一秒間に4.92m、50メートルを移動する時間は約10秒となります。 カルカノ銃のようなボルトアクション式のライフルは、発射後に毎回ボルトレバーを上げ手前に引いて排莢し、再びボルトを前方に押すことにより弾倉から次弾を薬室へ送り、ボルトを倒すことにより発射準備が完了、再び照準に戻るという作業の繰り返しになります。10秒の短い時間内に3発(実際は6発)発射して、そのうち2発(実際は5発)を移動目標に命中させる、というのは"ゴルゴ13"の漫画の世界でも不可能でしょう。 ちなみにゴルゴ13の愛用銃は、AR15 22口径セミオートライフルだったと思います。 22口径は反動が大変少なく、そのため銃身が跳ね上がりませんので、次弾の照準が素早くできるほか、セミオートは引き金を繰り返し引くことで次々に発射できるので、10秒間で5~6発を照準して撃つのはあながち不可能ではありません。 もっとも22口径は、弾頭が小粒で軽く、長距離狙撃や飛行機の窓ガラスなどの遮蔽物越しに狙撃する場合、弾道が狂いやすいので狙撃銃としてはあまり使用されません。やはり カルカノライフルのような、30口径(7.62mm弾)銃が一般的です。

筆者は防弾素材の貫通試験のため、30口径のM24狙撃ライフルなどを時々撃ちます(外国です、念のため)が、軍隊等で使用する正規の狙撃用弾薬は、火薬が強いため発射後張り付き気味となり、次弾の装てんにはボルトレバーを下から叩くように強く力を加えないと廻せません。 また前後のスライド操作にもそれなりに力を入れないと動きません。 映画"プライベートライアン"正式な英語では、"プリベッツ(二等兵)・ライアン"と言うそうですが、この映画の後半に教会の建物から海兵隊の狙撃兵が迫り来るドイツ兵を必死になって狙撃するシーンがあります。 十分研究し考証した演技だと感じましたが、狙撃手の彼は左利きのため右にあるボルトレバー(コウカン漢字が出ません)を左手で操作するのですが、器用に素早く操作しておりましたが、軽くスムースに動くボルトに違和感を覚えました。

筆者の拙い経験から、30口径のボルトアクションライフルは、10秒間で単に発射だけであれば3発撃てます。 しかし照準眼鏡を使用して照準、発射できるのは2発までと断言します。 10秒間に6発発射し、移動する目標に5発も当てるためには最低3丁のライフルが使用されたと勝手に断定します。 また、弾道からは前後2方向からの交差射撃を行っていることを示しています。 後方から a c3~4発発射(の兆弾により現場前方の鉄道橋下の中央付近で頬に怪我をした人がいたのでは後方から) 、前方右方向からd とすると無理なく説明がつきます。
現代の警察や軍では単独で狙撃を実行することはありません。 射手と観測的手兼通信手の最低2名でユニットが構成され、複数配置します。さらにこれをバックアップするチームと現地指揮官のセットが基本です。 この事件では、ほぼ同時に一斉射撃に近い状態で発砲していますが、そのような射撃を行うには、現代のSWATチーム同様に、現地指揮所を設置し、大統領の車列の動きを逐一観察、無線で通報し、周到な用意の中で、狙え、撃てなどの具体的な指示が出ていたと見るべきでしょう。 なおJFK事件が起きたのは、ベトナム戦争初期の頃ですので、現代のような携帯性、秘匿性に優れた小型、高性能のトランジスター式トランシーバーは、普及していなかったはずです。 容易に秘匿できない大型の機材、たとえばパトカー、白バイ用の車載式や歩兵用の背中に背負うトランシーバーしかありません。 狙撃場所とされた教科書ビル6階に無線機を持ち込み、持ち出したのか、それとも別の場所または別の指令方法があったのか疑問が残ります。 いずれにせよ、何らかの本格的な機材や人員を提供できるバックアップがあったことを窺わせます。



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